【こぎん刺しのルーツとは?】2020年『なるほど!西こぎんツアー』青森県西目屋村で開催!
こんにちは、kogin.netの山端です。
2020年がはじまりました!本年も宜しくお願い致します。
おかげさまで2019年も沢山の出会いに恵まれ、素晴らしいこぎんプロジェクトに関わることができました。2019年1月放送のNHKすてきにハンドメイド出演に始まり、初のこぎんブックマーケット開催、自著『写真集コギン』シリーズやデザインを担当した『ゆめみるこぎん』などこぎん本出版ラッシュ、星野リゾート界 津軽の全客室『津軽こぎんの間』へリニューアル、各地でのこぎん講演会、西目屋村での「こぎんのいま展」など新企画、matohu表参道本店との初コラボ展示や『こぎんをまとふ』トークセッション、koginツリー図案vol.3発売、新百合ケ丘産経学園こぎん刺し講座などなど。
取材も沢山していただき、これまで出会うことのできなかった皆さんにも『こぎん刺し×デザイン』を知っていただけた一年でした。つくづく、皆様に支えられてありがたいなぁと思うのと同時に、まだまだ自分にできることを頑張るぞ!と燃えている36歳です(亥年生まれでした)。
古作こぎん刺し写真集『コギン』の発刊やこぎんのいま展(青森県西目屋村)が本格始動し、こぎん刺しのルーツをさらに意識する一年となりました。本日は、過去に公開していたこぎん刺しのルーツに関する記事と、2020年2月1日(土)〜2日(日)に開催する『なるほど!西こぎんツアー』のご紹介です。
参加者募集中!
《こぎんのいま展 関連イベント》
こぎん刺しのルーツを味わい尽くす1泊2日
kogin.net山端家昌とめぐる『なるほど!西こぎんツアー』
開 催 日:2020年2月1日(土)〜2月2日(日)参 加 費:お一人様 39,800 円(税込)
(現地集合・現地解散、宿泊費含む)
募集人数:20名様(最少催行人数10名)
※定員になり次第、申込受付終了の予定です。
お申込み:津軽白神ツアー(青森県中津軽郡西目屋村田代字神田219-1)https://www.shirakamitour.com/
お電話、FAX、メールにてお申込みください。
(営業時間 9:00~17:00/店休日:毎週水曜日・年末年始)
電話番号:0172-85-3315 Fax 0172-85-3316
e-mail :shirakami-t@kumagera.net
「なるほど!こぎんツアー」は2018年に初開催した山端がガイドを務めるツアー名称でした。kogin blog: 【10/3〜5開催決定!】津軽でこぎん刺しを味わい尽くす2泊3日『なるほど!こぎんツアー』
ここから過去記事の加筆修正版です!
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最近、個人的に気になっているのは、こぎん刺しのルーツ。2017年4月に創刊された『そらとぶこぎん』でも先人の足跡が紹介され、こぎんの歴史に興味を持っていただいた方もいるかと思います。また、前々から先輩方のお話や古作こぎん刺し着物、書籍などで歴史には触れてはいたはずなのですが、お仕事で台湾先住民のお話を聞きに連れて行ってもらったり、青森の方々に歴史に関わる重要スポットを案内してもらったりしたことで、いよいよ【こぎん刺しのルーツは?】という根源的な課題が気になってしょうがなくなってきました。
文献を調べても、『〜らしい』『〜のようだ』と軽く触れているものはあるのですが、大概は「津軽で古来より育まれてきた、、」的なふんわりした内容なのです。唯一、写真中央の『津軽こぎん 横島直道編著』で語られているのを目にするくらい。
こぎん刺しと菱刺しの歴史に関しては、こちらにも詳しく掲載されています。口伝で伝わっていたのがメインで文献に登場しはじめるのが江戸後期なので、その頃に刺された着物が残っていないことや資料が無いというのは仕方ないなのは分かるんです。。でも!実際にはどうなんだろう?って思いませんか。どこで生まれて、どのように発展し、なぜあれほどの刺し子を生み出したのか。
雪の炉辺に刺す—津軽・刺こぎん、南部・菱刺に見る文様と繍技のドラマ 相馬 貞三
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《Web版》こぎん刺しのルーツを巡る旅!
こぎん刺しのルーツを探りに青森県へ。勝手ながら津軽の母だとお慕いしている佐藤陽子さん(佐藤陽子こぎん展示館)のご好意で、西目屋村までドライブへ。いつも気さくでチャーミングな佐藤さん。こぎんトークを始めるとお互いに話が止まりません(笑)
西目屋村公民館に到着〜。そう、この西目屋村の『奥目屋』こそがこぎん刺しのルーツなのです。詳しく解説します。
天保八年(1778年)日比野貞彦『奥民図彙』より
こぎん刺しが用の美と言われる所以は、摩り切れを防ぐため麻布を糸で埋めて強度を高め保温もしていたことです。初期の貴重な絵入り資料である奥民図彙(おうみんずい)でも肩や袖に柄がわたっています。なぜ肩の部分なのか?そして、そこまで擦切れる用途とは?この辺から紐解いていきたいと思います。
肩の摩り切れを防ぐ用途『炭すご(炭俵)』
炭スゴを担いだ女性= 1951(昭和26)年8月
手塚勝治氏撮影、森山泰太郎氏所蔵アルバムより
起源をたどると安土桃山時代の津軽為信公まで遡る弘前藩。藩政時代の城下町に住む人々の生活燃料は白神山地から切り出した薪材でした。そこで山間地域である西目屋では、どの集落でもほとんどの人々が炭を焼いて生計をたてていました。炭作りは男だけではなく女性や子どもも含めた家族全員の作業、特に炭俵を担いで町まで売りに行くのは女性の仕事だったのです。
白神さんぽガイドマップ 目屋渓コースより
佐藤陽子さんのお話では、何度も登り下りできないため、一人4俵(約64kg!)かついでいた女性もいたそうで、、そんな重い荷物を背負うため貴重な自家栽培の麻で織った麻布の摩り切れを予防したかった気持ちが汲み取れます。
目屋人形~深山に咲く花 目屋乙女の炭負姿~
深い渓谷の間を流れ落ち、逸走する清らかな流れと、うっそうたる雑木の深い森林の総合美、その間をぬって、立登る炭焼き 小屋の煙、我が目屋の群峰の山緑を色とりどりの風呂敷を頬冠り、絣の着物にきりりと身をかため、炭を背負って山坂を下る目屋の乙女の群はそれ自体が一つの芸術でありました。昭和の初め頃より地方色豊かな土産品としてあった目屋人形ですが、時の流れとともに忘れ去られ消え去ろうとしておりました。昭和59年、むらおこし事業のひとつとして、商工会婦人部の手によりかれんな目屋人形が復活した次第です。
こぎん刺しの故郷である「奥目屋」と呼ばれる砂子瀬・川原平地区は、世界遺産にも指定されている白神山地の入り口「暗門の滝」の下流に建設された津軽ダム(昔は目屋ダム)がある場所でした。こぎん刺しの故郷が世界遺産の近くに存在していたとは、、なんだか誇らしい気分です。
ただ、今は足を踏み入れることができません。1960(昭和35)年に完成した目屋ダムで砂子瀬・川原平地区は水没。
衣服としてのこぎん刺しが廃れた時と同じように、現代の生活がなに不自由なく過ごせる便利さと引き換えに、何かが失われていくのは仕方ない。と、分かってはいるのですが、、、一度でいいからこぎん刺しが生まれた地を踏みしめてみたかった!
いま、辿れる足跡として西目屋村公民館内に設置されている奥目屋風土回廊があり、民具、写真、絵画なども展示されています。当時の山の暮らしぶりがよくわかる、貴重な展示となっております!
奥目屋風土回廊オープン~ 西目屋村中央公民館 ~
館内に「アバこぎん」を着る女性の写真が何気なく展示されていました。
こちらの公民館では、こぎん刺しも展示されていて、興味深い古作を見つけました!もちろん土地柄、刺されている模様も西こぎんなのですが、模様使いが東こぎんのように縞で区切らず全面につながっています。
なぜこのようなものが残っているかというと、こちらは小さい模様が刺せるように練習として連続で刺されたものなんです。5〜6歳から刺しはじめて15〜16歳には立派な刺し手になっていたそうなので、こういった練習刺しは今でいうと小学校高学年くらいでしょうか。メイン模様は虫くい、蜘蛛刺しと呼ばれる模様でした。
これが上達していくと、肩に縞を入れて様々な模様を入れ込んだ、機能性にも見た目にもメリハリのある着物へ進化していきます。そういう目で見ると進化の過程を見るようで愛おしくなってきます。
公民館の職員さんがモデルをしてくれました!
今残されているこぎん刺しは、これまでに『これは残しておかないと』と先人達が思って残された一級品の作品ばかりだと思うのです。模様の面白さや他とは違うと言った特徴、貴重なものなど。その過程には、傷んで破棄されたりコレクション価値の低さから処分された何千枚もの古作こぎんがあったはずで、そこにはもっとたくさんの人生が込められていたはず。この着物に出会って、そんな遠い時代に想いを馳せていました。
完成時、横幅7.6メートルの巨大な緞帳。全て手刺し!横島直道氏の時代の弘前こぎん研究所の手によるものです。
佐藤陽子こぎん展示館
こちらは事前予約制です。佐藤さんの知識やお人柄に引き寄せられるように、展示物も進化していて何度でも訪れたくなる場所です。初めて行かれる方は、見るべきもの聞きたいことがドンドン出てくるので最低でも3時間は滞在したほうがいいと思います!冬は比較的予約がとりやすいそうなので、お気軽に日程をご相談してみてください。こぎんのいま展とも併せて是非♪《佐藤陽子こぎん展示館》 予約方法はこちら
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本ブログで充実のこぎん旅を楽しんでいただけましたでしょうか。途中いろんな時代にタイムスリップしましたね(^^;)最後まで読んでいただきありがとうございます!
上の写真は西こぎんの裏側。見頃と袖の境目部分です。古作の西こぎん着物をよ〜く観察すると、肩の白で刺された縞模様の間の部分も濃紺に染められた糸で埋められています。補強という機能を考えたら当たり前なのですが、僕の中ではここは布地の藍色が出ているものだと思い込んでいました。重い炭俵を背負って、これほど肩に負荷がかかるのであれば、布目を隙間なく全て埋め尽くしたいというのは腑に落ちます。
白神さんぽガイドマップ 目屋渓コースより
そんな重い重〜い炭俵を担いでいると、
「こぎん刺し=野良着」という単純化した話もよく出てきますが、厳密にいうと
ということが本当の所だそうです。
炭を売りに行くのは女性達の仕事だったと書きましたが、女性が街中を歩くときに、せめてもの一張羅で歩きたいというのは今も昔も変わらないはず。ましてや若い女性が群をなして炭を売りに行くわけですから、
『恥ずかしいものは着ていけない』
『他の人よりも美しく見せたい』
『人より凝ったものを着たい』
という着飾ることへの情熱もうなずけます。
古作の西こぎんでは区切られた面に全て違う模様が刺され自分が刺せる模様を自己アピールするように見えます。手先が器用ということで『嫁をもらうなら西から』という言葉も残っているほどです。
目屋人形 藍絣の野良着に炭俵を背負って運搬したかつての姿を再現
女性が山道を歩くための魔除け『くつわつなぎ』
そんな重い重〜い炭俵を担いでいると、
- 重心がずれるとバランスを崩して転倒し、険しい山道では命取り。
- 急勾配では足取りが重いためゆっくりとしか動きが取れないため蛇や獣などに襲われる可能性が高い。
競うように模様が発展した理由『晴れ着』
「こぎん刺し=野良着」という単純化した話もよく出てきますが、厳密にいうと
- 制約の中、機能性を兼ね備えた野良着として地刺しから変化し
- 女性達の手によって進化した結果、晴れ着としても認められ
- もったいないので重ね刺しをしたりして野良着としても活用された
ということが本当の所だそうです。
炭を売りに行くのは女性達の仕事だったと書きましたが、女性が街中を歩くときに、せめてもの一張羅で歩きたいというのは今も昔も変わらないはず。ましてや若い女性が群をなして炭を売りに行くわけですから、
『恥ずかしいものは着ていけない』
『他の人よりも美しく見せたい』
『人より凝ったものを着たい』
という着飾ることへの情熱もうなずけます。
古作の西こぎんでは区切られた面に全て違う模様が刺され自分が刺せる模様を自己アピールするように見えます。手先が器用ということで『嫁をもらうなら西から』という言葉も残っているほどです。
こぎん刺しのルーツが息づく『目屋人形』
そんな炭俵を担いだ女性達の姿を今に伝えるのが、西目屋村のお土産品としても定着している目屋人形です。炭すごを担いで、木の枝を杖にして体を支えながら山道を下っていたそうです。
目屋人形 藍絣の野良着に炭俵を背負って運搬したかつての姿を再現
じぶんたちの手で編んだ炭俵に木炭を積めて、若い娘が背負い、山道三里(12キロ)を歩きます。里村の田代地区まで。そこからは荷馬車で消費地の弘前方面へ運ぶのですが、砂子瀬までの道は勾配がきつい所が多くて、人が運んだのです。二俵背負うと、だいたい30キロくらい。そんな重い荷を背にして、山を越え、狭い川沿いの崖道を行きました。(つがる☆時空間様のブログ記事より)
Q. なぜ、こぎんを着てないの?
では、こんなにこぎん刺しと縁が深いのになぜこぎん刺しを着てないんだろ?という疑問が湧いてきます。
目屋人形~深山に咲く花 目屋乙女の炭負姿~
深い渓谷の間を流れ落ち、逸走する清らかな流れと、うっそうたる雑木の深い森林の総合美、その間をぬって、立登る炭焼き 小屋の煙、我が目屋の群峰の山緑を色とりどりの風呂敷を頬冠り、絣の着物にきりりと身をかため、炭を背負って山坂を下る目屋の乙女の群はそれ自体が一つの芸術でありました。昭和の初め頃より地方色豊かな土産品としてあった目屋人形ですが、時の流れとともに忘れ去られ消え去ろうとしておりました。昭和59年、むらおこし事業のひとつとして、商工会婦人部の手によりかれんな目屋人形が復活した次第です。
A. 昭和初期、こぎんが廃れていたから。
目屋人形は上記の通り昭和初期に盛んに作らたそうですが、その頃は明治の鉄道開通から時が経ち木綿の衣服も容易く手に入り、こぎん刺しを刺す必要がないため廃れていました。当時は藍染の絣や絞りに刺し子をして着ていたそうです。昭和初期の民芸運動で見出されるまで、こぎん刺しは大川亮氏など一部の知識人が注目していただけで地元でも忘れられていた存在。いま考えると、苦労や貧しさの象徴として忘れようとしていたかもしれません。そういった意味では、目屋人形が歴史を反映した絣の衣服を着ていることが自然と納得しできます。
『奥目屋』は津軽ダムの下に眠る。
こぎん刺しの故郷である「奥目屋」と呼ばれる砂子瀬・川原平地区は、世界遺産にも指定されている白神山地の入り口「暗門の滝」の下流に建設された津軽ダム(昔は目屋ダム)がある場所でした。こぎん刺しの故郷が世界遺産の近くに存在していたとは、、なんだか誇らしい気分です。
ただ、今は足を踏み入れることができません。1960(昭和35)年に完成した目屋ダムで砂子瀬・川原平地区は水没。
衣服としてのこぎん刺しが廃れた時と同じように、現代の生活がなに不自由なく過ごせる便利さと引き換えに、何かが失われていくのは仕方ない。と、分かってはいるのですが、、、一度でいいからこぎん刺しが生まれた地を踏みしめてみたかった!
いま、辿れる足跡として西目屋村公民館内に設置されている奥目屋風土回廊があり、民具、写真、絵画なども展示されています。当時の山の暮らしぶりがよくわかる、貴重な展示となっております!
奥目屋風土回廊オープン~ 西目屋村中央公民館 ~
館内に「アバこぎん」を着る女性の写真が何気なく展示されていました。
こちらの公民館では、こぎん刺しも展示されていて、興味深い古作を見つけました!もちろん土地柄、刺されている模様も西こぎんなのですが、模様使いが東こぎんのように縞で区切らず全面につながっています。
なぜこのようなものが残っているかというと、こちらは小さい模様が刺せるように練習として連続で刺されたものなんです。5〜6歳から刺しはじめて15〜16歳には立派な刺し手になっていたそうなので、こういった練習刺しは今でいうと小学校高学年くらいでしょうか。メイン模様は虫くい、蜘蛛刺しと呼ばれる模様でした。
これが上達していくと、肩に縞を入れて様々な模様を入れ込んだ、機能性にも見た目にもメリハリのある着物へ進化していきます。そういう目で見ると進化の過程を見るようで愛おしくなってきます。
公民館の職員さんがモデルをしてくれました!
今残されているこぎん刺しは、これまでに『これは残しておかないと』と先人達が思って残された一級品の作品ばかりだと思うのです。模様の面白さや他とは違うと言った特徴、貴重なものなど。その過程には、傷んで破棄されたりコレクション価値の低さから処分された何千枚もの古作こぎんがあったはずで、そこにはもっとたくさんの人生が込められていたはず。この着物に出会って、そんな遠い時代に想いを馳せていました。
《おまけ》日本一のこぎん刺し!
西目屋村公民館には日本一大きなこぎん刺しが飾られています。完成時、横幅7.6メートルの巨大な緞帳。全て手刺し!横島直道氏の時代の弘前こぎん研究所の手によるものです。
佐藤陽子こぎん展示館も超オススメ!
そして、皆さまご存知の古作着物やこぎん文献が日本一揃っていると思われる「佐藤陽子こぎん展示館」。自治体が運営してもいいのでは?と思うほど充実の内容は、こぎん刺しを学ぶなら絶対に外せないところです。佐藤陽子こぎん展示館
こちらは事前予約制です。佐藤さんの知識やお人柄に引き寄せられるように、展示物も進化していて何度でも訪れたくなる場所です。初めて行かれる方は、見るべきもの聞きたいことがドンドン出てくるので最低でも3時間は滞在したほうがいいと思います!冬は比較的予約がとりやすいそうなので、お気軽に日程をご相談してみてください。こぎんのいま展とも併せて是非♪《佐藤陽子こぎん展示館》 予約方法はこちら
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本ブログで充実のこぎん旅を楽しんでいただけましたでしょうか。途中いろんな時代にタイムスリップしましたね(^^;)最後まで読んでいただきありがとうございます!
そして、2020年に戻ってきます。
この冬、山端が関わっているプロジェクトだけでもこんなに盛り沢山!青森と東京を行ったり来たりな冬となりそうです。
【青森】アスパムで「光のこぎんツリー」展示中(〜2020年1月後半まで)
【青森】こぎんのいま展 開催中(前期1/30まで、後期2/1〜3/31)
【東京】matohu表参道本店とのコラボ展示(〜1/24まで)
【東京】新百合ヶ丘産経学園こぎん刺し講座ワークショップ開催(1/25、2/22、3/29、4/4 開催予定)
【青森】なるほど!西こぎんツアー(2/1〜2/2実施)
【東京】こぎんブックマーケット2020(3/28開催)
【年末年始】アスパムで展示中の『光のこぎんツリー』は、好評につき来年1月後半まで展示していただけるそうです🎄
— 山端家昌 (@kogin_net) December 27, 2019
年末年始の帰省の際にも是非、青森らしいこぎん刺しの灯りをお楽しみください🎍 https://t.co/KoLcYxkK1N
【こぎんのいま展】— 弘前感交劇場 (@kanko_gekijo) December 24, 2019
グラフィックデザイナーでこぎんアーティストの山端家昌さんが監修する「こぎんのいま展」。津軽こぎん刺しの作家や材料店、団体40組の作品や商品を展示販売。
・2019年12月21日(土)~2020年3月31日(火) 9:00~16:00
・会場:西目屋村 道の駅 津軽白神https://t.co/j2T0ffQ9af pic.twitter.com/e3UaKQcvZC
【koginコラボ展示】— 山端家昌 (@kogin_net) November 27, 2019
2020年1月24日まで、matohu表参道本店にて、こぎん刺し×デザインのkoginコラボ展開催中!一足先に新作の写真集コギン〈2〉、クリスマスにぴったりな《組立式》立体こぎんツリー、茶こしこぎんキット等も限定販売しております(^^)お近くにお越しの際は是非ご覧ください! pic.twitter.com/a4TXN5guyl
【こぎんツアー開催決定!】— 山端家昌 (@kogin_net) December 27, 2019
こぎん刺しの歴史と「こぎんのいま展」を味わい尽くす1泊2日(本藍染体験付)🚌
山端家昌とめぐる「なるほど!西こぎんツアー」募集開始!
2020年2月1日(土)〜2月2日(日)
参加費:お一人様 39,800円(弘前駅発着)定員20名
お申込み:津軽白神ツアー📞0172-85-3315 pic.twitter.com/rnrUNZ7uUJ
こぎんブックマーケット2020のメインビジュアルが完成♪今回はこぎん刺しファンや菱刺し好きさんが本棚の世界に大集合📚よーく見ると隠れモドコも⁉️出展申し込みは近日スタートしますので、またお知らせします♪ フォロー宜しくお願いします☺️https://t.co/Nj4MUUoEHk pic.twitter.com/qkKCZVghBu— こぎんブックマーケット公式(2020年3月28日開催!) (@koginbookmarket) October 4, 2019
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コメント
苦労したんですね~昔の女性は。
昔を思い出して作って見ました
炭すご編みです。
動画は殆ど無いのでね~。動画ですご覧ください。
http://tankoroko.cocolog-nifty.com/blog/2020/12/post-21411d.html
実際に編んでいるところを初めて見ることができました。共有いただき、ありがとうございます。